2007.12.18
なうい洋一少年
東京・北千住
ふと思い出した
オイラは何か!?
ドラムの所に笑顔が溢れんばかりのなうい洋一少年がいる
お年玉をコツコツ溜めていた郵便貯金を内緒に引き出し買ってしまったドラムセットなのだ!
両親に怒られたのを覚えている
写真の様にフォークギターが大半で、エレキギターが1本というお粗末なしだいだ
たぶん写真は中学2年生の頃だと思う
まだ、芸能界に入るちょっと前の、ある日だと思う
この写真に写っている方々が今何をしているのか、一人を除いては解らないし調べてもいない。
たぶん人生の最初の大きな買い物が、このドラムセットだった
ドラムを叩きたいから買ったのではない事は覚えている
なうい洋一少年の意地なのであろう
ロックをするのに「ドラムが無いといけない」という定義が当時のなうい洋一少年にあったのだろう
このドラムセットを友人に貸した時があった
2ヵ月後返してもらった時に大切にしていたドラムセットは素の形を変えてボロボロになり、なうい洋一少年の手元に帰ってきた。
その時、なうい洋一少年はボロボロのドラムセットを倉庫にしまった。借りた本人は「ありがとう」の一言を残して帰っていた。
倉庫というのは、なうい洋一少年の家がクリーニング店をしている。その倉庫をスタジオにした。14〜17歳にかけて倉庫をスタジオに使用していた。スタジオの通称は「ふくろう村」。店の景品であまったぬいぐるみが「梟」だったので単純にネーミングした。
これまた、お粗末がついてしまうスタジオだった。
倉庫の上は店になっていて、人が歩くと音までしてします。
スタジオの機材は、8チャンネルミキサー・アナログテープエコー・電気ピアノ・電気オルガン・小さなギターアンプ・グレアトーンのディストーション・サンダーと謎のメーカーのエレキギター(ロゴがフェンダーにそっくり)・マイク3本と、ボロボロのドラムセットに、カシオトーンとラジカセかな!?
ちょっとアニアックに書いてみたが、寂しい限りだ!
でも、なうい洋一少年は芸能の仕事の間が空くと、スタジオ「ふくろう村」に入り、音楽製作をしていた。たまに仕事でプロ仕様のスタジオに行くなうい洋一少年はいつも刺激があった。当時の赤坂のコロムビアのスタジオに何回か通っていた頃、プロ仕様のスタジオ見て、「これが自分に手に入るかな」と何度も頭を巡ったのを覚えている。だから、今でも各スタジオに行くと嬉しい!とってもワクワクする。
音楽をやってるみんなが、レコーディングスタジオを持ちたい気持ちはいたいぐらい感じるネ
機材の話なんかでも真剣だし、レコーディングにトキメキもわかる。楽しいんだよ。ライブとはちょっと違う感覚なんだよね
スタジオを作りたいとかの話になると、当時を思い出すし、オイラもなうい洋一少年の様にレコーディングをやってみたいし、手伝いと思ってるよ
ただし、スタジオを作りたいから作れる。
レコーディングをしたいからできる。
歌いたいから歌うでは、現在のオイラは「はい」とは言わないよ
それは、最初も、最後も本人のテーマだと思うが、途中の状況は他人がメインになるからだよ!これができないといかん!
なんでも時間がかかるとは思うが、決めた目標は最後で達成してほしい。
仲間なんかイナイ、自分でやらないといけない。
悔しいけど自分でやらないといけない。
・・・スタジオ作るとか
・・・最新の機材とか
・・・気持ちを伝えるレコーディングとか
・・・カシオトーンで音楽の構成を覚えるとか
いつも
なうい洋一少年は、
できる所までやってるよ。
なうい洋一少年は、都合良く寄ってくるがいて、時間が経つと、その人はなうい洋一少年の前から消えていった。いつも寂しそうに人の背中を見いた。
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interview with another face
by Now e Yohichi
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