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森田一義アワー笑っていいとも
2013年10月22日火曜日




本日2013年10月22日火曜日フジテレビ系列「森田一義アワー笑っていいとも」が、来年春で番組が終了することが、本日の番組内で発表されました。

オイラにとって「笑っていいとも」は「我が家」である。現在のずべてを教えて頂いた現場であります。仕事のやり方はもちろん、人間関係やマナーなども含めてである。前身「笑ってる場合ですよ」で新宿アルタ朝8時30分と言う不思議なキーワードが日課になり、「笑っていいとも」へ番組が変わり、合計で3年程度新宿アルタに通っていました。まだ、オイラが14、5歳ぐらいの頃で電車の乗り方すら解らないで、いつも不安だった事を覚えています。

リハーサルはちゃんとありますが、タモリさんとはほとんど打ち合わせ無しで本番になります。現在のオイラだと細かな事まで考えますが、当時はその日出来る事を精一杯生放送でやるのみと言う感じでした。タモリさんの辛みも本番中は何も覚えていないオイラ、その後VTRで確認して、いつでも「ため息」で自分自身にいつも喝をいれていました。品を変え、ネタを変え、でも本番では失敗の連続でした。でもタモリさんのアドリブや生放送の楽しさ、「ライブとはなんだ!」を現場で、それも本番で!よく若手に同じ事をしてますね。これはタモリさんの「愛」ですね。

その頃は「笑っていいとも」の現場では一番年下でした。お豆だったですね。スタッフのみなさんがひとつひとつアドバイスを頂き、半分ぐらい理解して、ネタを考えました。当時はADさんが一番パワーがあって、オイラに怒るのはADさんでした。親分の横澤さんなんか、やさしい言葉をかけてくれる、オイラにとってはADさんから逃げる場所が横澤さんだった事を覚えています。「笑ってる場合ですよ」から「笑っていいとも」に番組がかわる時に、横澤さんに「僕不安です。どうしたらいいですか?」と問うと、横澤さんは「あぁ、洋ちゃん、何も変わらないよ」、オイラは「?」、つづけて横澤さんが「お笑いだから」って、オイラに話してました。今だとなるほどとなりますが、初めて不眠症になりましたね(笑)最初の頃は、出演する事がメインだったですが、お弁当が出るようになったり、ギャラが少しづつ上がってきたり、目に見える形で成長させて頂きました。

ある日、弟子山下怜美にこんな事を言われました。「私、歌の師匠に弟子入りしたんだけど、お笑いに弟子入り感じがする」と言われました。たぶん、娯楽なんか、歌でも、お笑いでも、演技でも、映像でも、どれでも一緒です。応援して頂く方の大切な時間を頂いて、充実した時間を提供することでしょうね。

そうですよね、横澤さん。
まだまだやりますよ タモリさん。

あっ!間に合うのか「テレフォンショッキング」の出演!?

@なうい洋一


おもいきり絡んで頂いたイントロ紹介コーナー



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